彼女の口があんぐり開きます。しきりに瞬きをしています。構わずに続けました。

「あんなものを面白いだなんて……ハレンチにもほどがあるわ! 神経、どうかしてるんじゃないの!?」
「や、どうかしているのはあなたの方よ!? 人から借りたものを捨てるなんて、非常識だわ!」
「うるさい! ねえ、いったい何があったの? あんなに純潔だったあなたが……」

 彼女は深くため息を吐くと、急に口調を変えました。

「私……あたし、気づいたの」
「え?」
「このままじゃ、ダメだって」

 彼女は何を言っているのでしょう?

「クラスメートでね、一人話しかけてくれた子がいたの。あたしが寂しそうだったから、て。その子はとても明るくて、派手な子。あたし、目が覚めたわ。あんな時代遅れな映画や小説や漫画、もういらない」
「は? ……え?」
「あんたもいい加減、現実を知りな。もう中学生じゃないんだから」

 彼女はくるっと背中を向けて、去っていきました。私は手に持っていたお弁当箱を落とし、膝をつきました。

「この、売女!」

 と、消えた彼女の背中へ、叫んでいたような気がします。

 そのまま彼女とは敬遠しあうようになってしまいました。お昼休みは一人で過ごすようになって、家への帰り道も一人です。

 暫くの間、私の感情は憤怒に支配されていました。それが落ち着いてくると今度は、お弁当の卵焼きがしょっぱく感じるようになりました。

 それは私の涙が原因です。もう一度ちゃんと話せばわかってくれると思って、私は彼女のクラスへ赴き、そっと扉を開いて中を覗いてみました。うるさい教室。

 彼女を見つけるのは大変でした。だって、長い黒髪の子が見当たらなかったものですから。教室にはいないのかしら? ……と、首を傾げた途端、真ん中でかたまってお弁当を食べていたスカートの短い三人の女の子のうち一人が、ふいに私の方へ振り向きました。

 その女の子の顔は明らかに彼女のものでした。でもあれはいったい誰なんでしょう? 私はあんな子、知りません。

 髪を栗色に染めて化粧をして、スカートの丈を詰めて腿を恥ずかしげもなく晒し、おまけにセンスの悪いだぶだぶの靴下を穿いた子なんて!

 私たちは少しの間、見つめあっていました。しかし彼女の向かいの席に座っていた、同じく髪を染めた女の子が彼女を呼ぶと、彼女はもう興味をなくしたそぶりで私から視線を外します。私は黙って去りました。

 絶望です。もう、どうでもいい。彼女とは絶交です。彼女は精神的に薄弱だった。周囲の悪徳への誘惑にあっさり負けて、純潔を捨てた。売女に堕ちた。きっと、いつか天罰が下ります。


 俗世間はあまりにも汚れている。それが当たり前になっているから、純潔が逆に異端扱いされてしまう間違った世の中。その証拠に現代では「処女」と「童貞」は恥とされているとんでもない事実があります。昔なら処女も童貞も汚れのない証しとして、尊敬の眼差しで見られていたものだったのに。

 暗黒と化した高校生活中、コンピュータールームで去勢教について検索していたら「非性愛者」というものの存在を知りました。きっと、私はそれなのだ。

 高校を卒業すると母子家庭で家計が苦しかったこともあり、私は家を出て、通販会社のコールセンターに就職しました。そして、今に至る訳です……。


「はい、××コールセンターです。お電話ありがとうございます。はい、ご注文でしたらまず品番を」

 インカムから聞こえる甲高い、中年の女性のものだと思われる声が私の言葉を遮りました。

『知らないわよ! そんなモン!』
「カタログに記載されています。ご確認のほどっ……」
『んなモン、アンタの方で調べればわかるでしょ! ピンクのカットソーよ!』

 わかりません。ピンクのカットソーと言ったって、同系色のカットソーが商品には沢山あります。ちゃんと指定してもらわなければ。

「ですから、カタログの品番を」
『もういい!』

 ガチャン、と受話器を乱暴に叩きつける音が響きました。何よ、もしも適当なピンクのカットソーをこっちが選んで、それが希望していた商品と違えばクレームしてくるくせに。

 ムカムカします。でもすぐに話を止めてくれたので、この電話はまだマシな方です。こういう訳のわからない不愉快な電話は長引くと不都合です。間髪入れずに、次のお客様から電話がかかってきますから。

「はい、××コールセンターです。お電話ありがとうございます」

 このお仕事は出来るだけ多くの電話を取らなければなりません。品番を聞きながら、目の前のコンピューターにそれを入力していきます。最初の頃は難しく感じたこの作業も、四年勤めた今ではだいぶ手慣れました。

「林田さん、お疲れ様です」

 定時後の帰り際に、同僚の女子社員たちから社交辞令な挨拶。私は知っているんですよ? あなたたちが私のことを「暗い」だの「ブサイク」だの陰口叩いていたこと。前にトイレで偶然、耳にしました。おかげで私はあなたたちが去るまで、個室から出られませんでした。

「ええ、お疲れ様です」

 しかし、無視する訳にもいきません。挨拶を返します。女子社員たちはそれを聞かぬうちに私に背を向けて、きゃいきゃい騒ぎながらオフィスを出ていきます。騒ぐ声が聞こえなくなってきたところで私はデスクの上のバッグを掴み、オフィスをあとにしました。

 ビルから出ると、視界に広がるのは夕闇に染まった街中。駅まで歩き、そこから電車に乗って住んでいるアパートがある駅前まで一駅の距離です。乗り込んだ電車の中では下着が見えそうなほどスカートの短い、二人の女子高生がけたたましく喋っていました。私は「線路に落ちて、電車に轢かれればいいのに……」と、疲れた頭で思いました。

 電車が到着したのでホームに降り立ち、駅前へと出てもまっすぐ帰らず、レンタルDVD屋さんへ寄ります。疲労を癒す為に。

 探すのは年代の古い、ロマンチックな恋愛映画のDVD。棚に陳列されたDVDのうち「メリーゴーランドの恋」というタイトルのDVDに惹かれて、手に取ってみました。ジャケットにはタイトル通り、メリーゴーランドの睫毛の長いメルヘンチックな馬に腰かけて、微笑む少年と少女。

 今夜はこれを見てから寝ましょう。DVDをレジに持っていって、それからようやく家路につきました。

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